尹大統領は元検察総長(日本で言う検事総長?)だ。その司法の専門家が憲法上戒厳令を出せる、として結果、逮捕された。現在の検察総長は違憲の戒厳令だと断じているわけだ。検察の新旧トップの判断が割れているが、いずれ裁判(判事の多数派の意見)で決着がつく。多数決(社会の多数派だ)でしか決まらない司法では「法匪」と言わざるを得ない。
日本では司法官僚の専行が許されているので、こうはならない。政争は司法の判断があれば収まる、という利点がある。最高裁判事人事も政治が決めていない。
韓国は日本を手本として民主主義としたが、これでは三権分立をまたいで政治の抗争舞台になってしまう。形だけ取り入れても機能しないパターンだ。日本の見本のはずの米国もそうなので、その国の社会の形態が民主主義的でないと無理なのではないかと思ってしまう。日本には古くから民主主義的社会の土壌があったと言うことだろう。
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