8/22/2020

全員に補償が必要では補償できない

 新型コロナウイルスの蔓延防止に「休業要請とセットで補償を」という主張が相変わらずみられる。

 いまは休業に協力いただいた店などに協力金を一律に支払っている。補償となると実際に休業に伴って生じた損失を積算してそれを補償(80%とか)することになる。それには実際上困難な理由が二つある。

 一つは税金で支出することになるので、厳密な計算と手続きの、役人(自治体)の仕事となることだ。役人は様々な公的事業を実施する仕事をしているので、それらに伴う補償事務は本来のものだ。しかし、それが何万何十万件と重なったら事実上パンクしてしまう。一件一件が税金を支出するものなので厳密な手続きが要請される。

 全国民に一律に10万円を給付する特別給付金も大半に配り終えるまでに二ヶ月以上かかった。手続きは住民票との照合(住所があるか)だけだ。それでも大変な事務の総量(1.3億件だ)になる。実施されなかったが、影響(貧困)家庭に30万円給付する案は、件数は少ないものの一件あたりの審査事務が多くなるので、より好ましい施策だったが、迅速には支給できないことで断念された。

 もう一つは「休業を要請した」店だけが損失を受けているかどうかだ。例えば国際空港のビル内の店にはそもそも観光客が来ない。これは出入国管理を厳しくした因果の行く末だ。普通の繁華街の店でも、客は感染を恐れて自ら出かけない。要請しなくても休業状態になっている。事ほど左様に、全商売が何らかの影響を受ける。これらを要請した店だけへの対応に限定してよいはずはない。「補償」という責任関係を厳密にする言葉を使うと全体に矛盾が出てしまう。

 だから、協力金という一律にして、補償という責任ではありません、ということにしている。つまり「全員が困ったとき」には全員に対応しないのが公的存在だ。例えば、国が起こした戦争なのに空襲被害を受けた住民に補償はしない。

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