6/30/2025

「もらう」わけでない薬

古くから使われている日本語表現で気になるのが、「お医者さんからもらった薬」というのがある。

以前は医薬分業になっていなかったので、病院で処方薬を出して「もらって」いた。この「もらう」がその後の薬局でも使われている。保険診療だからいずれも患者負担は3〜1割負担と軽いが、「もらう」の意味のタダではない。

このたびOTC類似薬は保険対象から除外して、薬局での市販薬と同様(100%負担だ)医師処方なしで買うことになる。これを機会に処方薬も「薬をもらった」との表現はやめにしたらどうか?

ちなみに、情報など無形のものは「もらったが、代金は○○円だった」とは言うが、形あるものは「もらった」とは買ったのではなく、無料での意味だ。

6/28/2025

宅配便を受け取るのに在宅しなくてどうなる

郵便には信書、書留なども含み個人に届ける極めて公的に重要な役割がある。それが普及するまでに、ダイレクトメールなど一方的に送りつけるものや、文書だけでなく小包にして財産物を送るような宅配便まで拡張しそれらの区別が曖昧になってきている。

郵便には通常郵便受けポストが各戸の玄関先(道路との境界)に設けられる。それを利用してそのポストサイズのDMや宅配の書籍の受取にも利用できる。宅配便の小包はそれ以上のサイズが多いので、直接受け取るかマンションなら宅配ボックスに不在時置き配になる。(ここまでが現状)

宅配便の配達人にとっての悩みは受取宅に留守人もが不在となる場合が多く、再配達の手間が相当になることだ。そのため国土交通省では荷物の輸送約款の中で、玄関先に置き配を前提とする改正が進んでいる(再配達の場合は割増料金)が、問題解決のアプローチが違うだろう、と思う。

荷物を受け取るのは注文したからだ。だったら、原則は送り元がいつ頃届けられるか連絡して、受け取る方はその時刻に在宅することだ。贈答品は注文してはいないので、贈り主が連絡してよい。ネット時代なので、いちいちの電話でより、配送プラットフォーム業者(アマゾンとか)からの自動メールなりで配達予定日の約束を通知できている。配達車あるいは受取家庭の都合で日時変更を随時できるようにできないものだろうか。

個人的経験だが、旬の果物を果樹園にネット注文し配達を頼んだら、収穫日が予測できないので、配達日は発送してはじめて連絡できる、とのことだった。その配送日に在宅していなかったら、旬が古くなって、最悪の場合果樹園に戻されてしまい、料金は戻ってこないそうだ。なんと言う商売だろう。収穫最適日には大量に収穫しなければならない。だったら予めお得価格で注文している客に送ってさばく、というのが「お得価格」ができる理由だ。それには多人数家庭でひまな老人などがいつもいる、という特殊条件が必要だ。

6/06/2025

米騒動ではいつもの買い占め業者悪徳説

今回の米価高騰は2024年「米騒動」と呼ばれつつあるそうだ。本家の1918(大正7)年の米騒動が歴史上有名で、その時と騒動の理由(悪徳買い占め説)は同じだと思わざるを得ない。その点で、日本国民の考えは昭和の100年間を越えても進歩していない。

今回は農水省の減反調整策が失敗して供給が少し足りなくなって値が高くなったまでは当然の成り行きだった。問題はその後で、各流通段階でコメの在庫量を「先行き高値」思惑で増やしたので、2倍以上の急騰になった。さらには生産農家で出荷を少し控え、消費家庭でも少し余計に買って(先行き高くなると思えば安いうちに買いだめする)、その間の集荷業者、何段もの卸業者でも少しずつでも在庫量を増やせば、全体として供給量は激減する。小売のスーパーの棚では高値の値札だけの空棚が増えた。 

自由市場商品になったからには思惑で売り惜しむのは完全に正当な行為だ。コメは生鮮野菜と違い保存が効くからなおさらだ。もし農水省が適正値段に戻したいなら、「冷やし玉」の追加供給(いまは備蓄米)を増やし続けるしかない。その全体量100万トンで足りなければ、餌用などのミニマムアクセス(MA)輸入米で供給し、また、その追加輸入を図るしかない。

ただ、これから三ヶ月が過ぎて8月に2025年産米が流通するようになれば、思惑で在庫していた2024年産米は古米になって値が下がってしまうから、その前に市場に姿を見せるだろう。このように思惑相場は一年間限りのものなので、自然と異常高値が解消するのを待つしかない。