6/03/2019

全体主義の足音が聞こえる

全体主義とは異論を許さない社会のことだ。戦前の大政翼賛会設立で議会政治・民主主義は終わった。議会の機能は国民のあいだにある多様な意見を政治に反映することで、それが民主主義そのものの定義だ。

最近の丸山穂高議員と桜田義孝議員(前大臣)へのバッシングを見ると異論を言うことさえ許さない、という危惧を感じる。もちろんだが「戦争しなければ還ってきませんよ」という意見には反対の人が大多数だろう。でも反対だからと言って、発言を許さないのではかえって全体主義そのものになってしまう。全体主義は(危険な)異論が発生するからではなく、異論を許さない風潮から始まる。

国会議員は700人もいる。それらの代議士がすべて世論迎合の同じ論しか言わないのなら、それこそ議員定数を大幅削減したほうが合理的だ。敢えて異論を挟む勇気が選良には求められる。その意見が選挙民に拒否されれば次回の選挙で落選する。

議会政治が終わる、と前述したが、中国と北朝鮮にも議会はある。でもそれらは謂わば我が国の大政翼賛会の仕組みであって、議会政治とは言えない代物だ。中国北朝鮮のようになっていいのですか?

0 件のコメント:

コメントを投稿