8/28/2025

ブームの再エネ、再拡大は時期尚早

釧路湿原の自然保護地域に隣接する普通の地域で、メガソーラー建設反対運動が起きている。丹頂鶴は隣接していればエサを探しに来る。

日本にはメガソーラで大規模に土地改変してよい土地はそもそも残っていない。狭い国土なので、荒れ地と呼ばれるソーラー以外の利用が全くできない土地というものがない。ソーラーはメガでなく、都市に細かく設置すべきものだ。砂漠などの荒れ地が豊富にある大きな国とは違う。

風力発電適地(海域)も同様だ。先進の欧州のように着底が容易に可能な遠浅の海岸がない。あっても干潟漁業と競合する。そこで、浮体式風力発電が叫ばれたが、経済的にはまだ成熟している技術とは言えない。三菱商事はじめが工区海岸の権利を放棄したのは、経済的にペイしないからだ。

再エネにFIT優遇してまで促進したのはよいが、いまは、更に一段の技術開発が必要な時期(階段踊り場のようなもの)で、技術開発の進行を待つべきだ。変動が激しい再エネ発電の調整電源(蓄電池など)の開発も待たなければならないので、これ以上の電力量開発は遠慮すべきだ。

8/26/2025

問題は彫像など公共空間展示

少女裸像が公園などの公共空間に展示されているのは「不快」「恥ずかしい」などとして撤去の要求が続出している。問題はそれだけでなく、公共空間へのすべての彫像などの展示の是非だ。

彫像には単に芸術性を主張するものだけでなく、軍人・英雄の像は価値観を強制するものでもある。芸術性があるかは見る人の主観による。芸術性を感じ「ない」とする人にも見えてしまう公共空間に展示するのは馬鹿げている。美術館なりの閉鎖空間に展示すべきものだ。絵画とか手工芸品は屋外に展示できないこともあり、屋内展示となっているではないか。成熟した日本社会では以上のような万人に向けた配慮が必要だ。
特殊な空間にそれに適した像を設置するケースはある。私も行った、台湾の烏山頭ダムでの八田與一像。そして、長崎の平和祈念像(芸術性はない)。

芸術でも音楽は街中に流して通行人に聴くことを強制はしない。

韓国人によって世界中に慰安婦(を象徴する)少女像が設置されている。これもその設置都市での公共空間への配慮が求められるケースだろう。慰安婦が強制連行されたかどうかは議論の上、結論が得られるまでに象徴展示を強行するのは意味がない。

8/15/2025

戦禍の語り継ぎだけで再びの戦争はなくならない

戦禍を後世に伝えて再びの惨禍を被らないようにしよう、というスローガンが叫ばれ続けられた。

しかしこれらの繰り返しで、戦争が終わることはなかった。現に国連の常任理事国で世界の平和に責任あるロシアがウクライナ相手に戦争を継続中だ。

核兵器は大量破壊兵器で非戦闘員まで巻き添えで被害を及ぼす。非人道的そのものだが、通常兵器でも都市空襲に使われる焼夷弾なども同様だ。人間を焼き殺すだけの目的だ。殺人兵器には変わりはない。だから、核兵器廃絶だけでなく、通常兵器の軍縮も同様に進めなければバランスを欠く。

冒頭のスローガンだけでは戦争はなくならない。欠けていることは、国家の指導者が開戦する意志決定したプロセスを検証し、それを否定論却することだ。民主主義国家だったら、それを国の政治の基本とする。専制的国家でも、よって立つ国民の幸福を考えない指導者はいないだろう。戦争は国同士の相互作用だ。防衛的戦争という逃げ道があり得るが、それも厳密に成り立つのか検証する。

直近の第2次世界大戦も「勝てば官軍」的戦後処理しかなされてこなかった。それに少しでも異を唱えると「歴史修正主義」だとして排撃されてしまう。そうでなく、終戦後数十年を経ているからこそ戦勝戦敗両側が冷静になって戦争の意志決定の歴史検証議論ができる。

以上が戦禍の語り継ぎに加わってこそ再びの戦争を防ぐ方法だ。

8/05/2025

中山間地水田農業は撤退せよ

増産が期待されている稲作が今年も不作が予想されている。異常高温と少雨の気象悪条件からだ。高温には湛水による冷却が有効だ。それも天水に頼る中山間地の棚田には無効だ。少雨が続くと小さな谷に流れる湧き水が枯渇する。

そもそも谷の水に頼る小規模水田は渇水に弱い。麓の水田は大きな河川の農業水利がある。大きな河川では比較的水量が保つものだ。そして、上流にダムとか溜池の農業利水補給施設があれば安心だ。

中山間地水田は気象条件によっては不作が続出する。そうなっても農業共済組合が救ってくれる。不作に備え水利施設に投資するのでなく、金銭補償を受ける。こうなると全国のコメ市場の需給に影響し、今年も3年続きで消費者価格が高騰する。(豊作の時は価格低迷)

中山間地の農業、とくに稲作はあきらめたらどうか?規模の利益もなく、気象変化に弱い、そのような農業は近代産業の資格がない。米国では麦作、大豆などは世界商品市場の対象になるほど近代化されている。大規模農家も気象予測を綿密にして、さらには競合農家の作付状況を見て、今年の作付けと収穫時期などを有利にする予想をたてる。科学を総動員するのだ。日本の農家が気象の変化まであきらめてみるのとは大違いだ。

麓の水田だけで大規模化を図り消費者に価格面で迷惑をかけない日本の農業を期待する。

7/19/2025

選挙は一か八かだ

一か八か、は博打の覚悟で、丁半50%の確率で勝負が決まる。選挙ではどちらかの党が過半数の支持を得られれば議席を獲得できる。今回の参院選でも地方の1人区が注目を浴びている。2人区以上だったら、痛み分けとなり、議席配分に大変化は期待できない。従って有権者の投票意欲も減退する。一票の価値が少なくなるからだ。

与党の自公が支持を失いつつある今回、オセロゲームのような大変化が起こるのはその「小選挙区」各県からだ。だから、いつもは感心を呼ばない参院選が熱くなる。参院は必要ないという声が大きい。しかし、不定時の衆院選の間に必ず半数改選の参院選は必ずやってくる「中間選挙」だ。その意味では参院の存在意義はある。

明日の選挙日にはその意味でバカにしないで投票して欲しい。(選管みたいな言い方になった)

6/30/2025

「もらう」わけでない薬

古くから使われている日本語表現で気になるのが、「お医者さんからもらった薬」というのがある。

以前は医薬分業になっていなかったので、病院で処方薬を出して「もらって」いた。この「もらう」がその後の薬局でも使われている。保険診療だからいずれも患者負担は3〜1割負担と軽いが、「もらう」の意味のタダではない。

このたびOTC類似薬は保険対象から除外して、薬局での市販薬と同様(100%負担だ)医師処方なしで買うことになる。これを機会に処方薬も「薬をもらった」との表現はやめにしたらどうか?

ちなみに、情報など無形のものは「もらったが、代金は○○円だった」とは言うが、形あるものは「もらった」とは買ったのではなく、無料での意味だ。

6/28/2025

宅配便を受け取るのに在宅しなくてどうなる

郵便には信書、書留なども含み個人に届ける極めて公的に重要な役割がある。それが普及するまでに、ダイレクトメールなど一方的に送りつけるものや、文書だけでなく小包にして財産物を送るような宅配便まで拡張しそれらの区別が曖昧になってきている。

郵便には通常郵便受けポストが各戸の玄関先(道路との境界)に設けられる。それを利用してそのポストサイズのDMや宅配の書籍の受取にも利用できる。宅配便の小包はそれ以上のサイズが多いので、直接受け取るかマンションなら宅配ボックスに不在時置き配になる。(ここまでが現状)

宅配便の配達人にとっての悩みは受取宅に留守人もが不在となる場合が多く、再配達の手間が相当になることだ。そのため国土交通省では荷物の輸送約款の中で、玄関先に置き配を前提とする改正が進んでいる(再配達の場合は割増料金)が、問題解決のアプローチが違うだろう、と思う。

荷物を受け取るのは注文したからだ。だったら、原則は送り元がいつ頃届けられるか連絡して、受け取る方はその時刻に在宅することだ。贈答品は注文してはいないので、贈り主が連絡してよい。ネット時代なので、いちいちの電話でより、配送プラットフォーム業者(アマゾンとか)からの自動メールなりで配達予定日の約束を通知できている。配達車あるいは受取家庭の都合で日時変更を随時できるようにできないものだろうか。

個人的経験だが、旬の果物を果樹園にネット注文し配達を頼んだら、収穫日が予測できないので、配達日は発送してはじめて連絡できる、とのことだった。その配送日に在宅していなかったら、旬が古くなって、最悪の場合果樹園に戻されてしまい、料金は戻ってこないそうだ。なんと言う商売だろう。収穫最適日には大量に収穫しなければならない。だったら予めお得価格で注文している客に送ってさばく、というのが「お得価格」ができる理由だ。それには多人数家庭でひまな老人などがいつもいる、という特殊条件が必要だ。

6/06/2025

米騒動ではいつもの買い占め業者悪徳説

今回の米価高騰は2024年「米騒動」と呼ばれつつあるそうだ。本家の1918(大正7)年の米騒動が歴史上有名で、その時と騒動の理由(悪徳買い占め説)は同じだと思わざるを得ない。その点で、日本国民の考えは昭和の100年間を越えても進歩していない。

今回は農水省の減反調整策が失敗して供給が少し足りなくなって値が高くなったまでは当然の成り行きだった。問題はその後で、各流通段階でコメの在庫量を「先行き高値」思惑で増やしたので、2倍以上の急騰になった。さらには生産農家で出荷を少し控え、消費家庭でも少し余計に買って(先行き高くなると思えば安いうちに買いだめする)、その間の集荷業者、何段もの卸業者でも少しずつでも在庫量を増やせば、全体として供給量は激減する。小売のスーパーの棚では高値の値札だけの空棚が増えた。 

自由市場商品になったからには思惑で売り惜しむのは完全に正当な行為だ。コメは生鮮野菜と違い保存が効くからなおさらだ。もし農水省が適正値段に戻したいなら、「冷やし玉」の追加供給(いまは備蓄米)を増やし続けるしかない。その全体量100万トンで足りなければ、餌用などのミニマムアクセス(MA)輸入米で供給し、また、その追加輸入を図るしかない。

ただ、これから三ヶ月が過ぎて8月に2025年産米が流通するようになれば、思惑で在庫していた2024年産米は古米になって値が下がってしまうから、その前に市場に姿を見せるだろう。このように思惑相場は一年間限りのものなので、自然と異常高値が解消するのを待つしかない。

5/29/2025

戦いが続いている、食糧配給はまだだ

ガザで中立を疑われている国連UNRWAの代わりに米国財団が住民に食糧配給を開始したところ、住民間で奪い合いの大混乱になった。配給する側も慣れないので手順を間違えたが、受ける側の奪い合いも非難されなければならない。

日本は敗戦後、政府は残った。その政府が米国などからの支援物資を配給して、混乱は皆無だった。日本人は大災害後の避難所での支援食料の配分も自主的に公平にできる。ガザと日本と、民族性の違いと言ってしまえば簡単だが、イスラエルは戦争に勝ってその占領地の生活に義務がある。その生活支援を受ける住民にも整然と並んで物資を受け取る義務はある。

戦争が終わっていないのではないか?終わっていないから、ハマス軍への物資の横流しが心配される。ガザ南部は掃討戦が終わったとのことなので、終戦宣言を出して、ハマス政府に替わる自治組織を作らせるべきだ。それが日本的な町内会でもよい。北半分は掃討戦中なので、住民は南部に避難させる。

露宇戦争のトランプ和平も「戦いが続いている」現状を理解しない試みだ。プーチンは「永遠に」戦う覚悟を示した(代弁)。この終戦からほど遠い現状で、第三国が終戦後の復興などを議論したら、プーチンから馬鹿にされる。まずは戦争を終わらせることに注力する。

4/26/2025

外米、古米は不味いほうが都合よい

コメはある程度の期間の貯蔵が可能な穀物だ。生鮮野菜とはそこが違う。同じ穀物でトウモロコシ、大豆、小麦は世界的に取引市場があり、先物もシカゴで取引される。コメもそうなりそうなものだが、コメを主食とする民族は欧米以外のアジアなどに限られる。日本を含むアジア等の各国内で基本、自足され、余剰分は輸出される(タイ、ベトナム、インドなどから)。

日本はコメが主食なので、江戸時代の昔から大坂で各藩の米倉庫間で取引が行われてきた。先物市場もあり、それが世界に先駆けたものとなっている。穀物なので全世界的に海運の発展により貿易対象となったが、日本は食管制度で国内需給を賄うことにしてきた。食管制度の崩壊により自由市場商品となったが、農水省が代替としたのは、減反奨励策で供給量をコントロールして価格安定を図ってきたことだ。少ない輸入米はこの市場から隔離して、ミニマムアクセス米とした。

基本は自由市場になったので、外圧での輸入全面解禁には弱い。トランプ二次政権の関税戦争もある。そこで日本人の外米、古米嫌いが生きてくる。日本産で新米信仰だと、国内といえども取引市場が育たない。生鮮野菜と同じままとなる。実際、古米、古古米(三年前)と新米で味に違いはほとんどない。外米も日本米とおなじ短粒種で栽培も丁寧になって、米国米、ベトナム米も遜色ない。タイなどの長粒米もオカズ混ぜご飯などではかえって美味しくなる。牛肉もそうだった。豪州に行ったときに豪州産のWAGYUを食した。和牛と変わりはほとんどない。同じ肉牛種で同じ飼育方法だったらそうなる。

いままでは不味い外米と古米は安くても売れなかったが、今回の米騒動で備蓄米の古米以下もそれほど不味くないことがわかってしまった。出回っている台湾米、ベトナム米も評価され、カリフォルニア米もそうだ、ということになれば、今後は外米、古米も参入したコメ市場になるのだろう。農水省にとってはやぶ蛇状態になったが、供給量を管理・制限しての市場支配は無理だということがわかっただろう。